キャッチフレーズ
卑弥呼の郷 日田

           漫画家 久世みずき

 
 日田市歴史観光ガイド



 
日と鷹の伝承が残る日田
    英彦山を創建した藤原恒雄
   
 古代九州の謎を解く「鷹神話が日田・英彦山・香春」に存在し、531年に英彦山を創建した日田の藤原恒雄の正体を暴く。

英彦山創建と檀君神話

天孫降臨は英彦山?


賀川光夫先生 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡

      

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鉄鏡は八咫の鏡?

   

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 日田の歴史  日田の全体歴史年表

     最近の新聞記事

高島忠平氏講演会

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高島忠平氏 月刊歴史街道

歴史作家 関裕二氏講演会

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 ここだけのオンリーワン
 筑後軌道(大正後期の鉄道網)
 おきあげ人形(江戸時代)
 金銀錯嵌珠龍文鏡(弥呼の鏡)
 広瀬淡窓先生、身分に関係ない私塾
 養育館(日田県・松方正義)
 日田金(江戸)


 日田市イベント紹介 
日田おひなさま 2・3月 豆田町
大原八幡粥だめし 3、15 大原
高塚地蔵・春の大祭 3.24 天瀬町
萩尾稲荷神社大祭3.31 萩尾公園 
いいちこ日田蒸留所まつり 4.(4/5) 有田町

蜂の巣桜まつり 4.5 中津江村
松尾様まつり 4.12 内河町
あまがせ温泉まつり 4月上旬 天瀬町

老松神社まつり 4.15 中津江村
津江系山開き 4.29 前津江村
日田祇園 7、25/26 市内中心部

高塚夏祭り 7.24 天瀬町
大山夏祭り 7月下旬
オートポリス耐久 8/1.2 上津江村
中津江ミュージック 8/15.16中津江村
 ひた三隈川鮎まつり 8月下 竹田公園

リバーフェスタ 8月下旬 亀山公園
オートポリススーパー2&4  9/12.13
日田放生会 9/21-25 大原神社
高塚秋の大祭 9/24 天瀬町
鯛生金山まつり 10/4 中津江村
小鹿田焼民陶祭 10/10.11 小野町
カッパ祭り 10月中 有田町
五馬くにち 10月20~27 五馬町
オートポリスGT10/31・11/1
秋のバラフェア 11月中ー下 天瀬町
日田天領まつり 11/14.15 豆田町

千年あかり 11/11-13 豆田町
老松神社大野楽 11月中 前津江村
いいちこ日田蒸留所 紅葉祭 11月

「日田の持つ意味とは」

 鉄鏡を卑弥呼が所持していたのか、それとも2代目卑弥呼の台与が所持していたのかその謎はわからないが日田の謎を紹介しよう

「風土記の久津媛」

 『豊後国風土記』は久津媛(ひさつひめ)が訛り日田になったと記述される。
 その久津媛は景行天皇の前に、久津媛という神が人として現れるという異色の書き方をしている。
  口の中に-と+という陰陽が封じ込まれているとでも言いたい様な地名「日田」。その意味も、素戔嗚尊と天照大神の謎が潜んでいるにちがない

倭国大乱の時代以後の都は、大河の上流部の盆地的な場所に存在する
 盆地は奈良・京都・朝鮮半島・中国でさえ・・6世紀までは九州に王権が存在

日田は邪馬台国・卑弥呼の居城・ 日田はパワースポットの世界
              日田は口の中に
の陰陽が封じ込められている
           天皇家発祥の地そして八咫の鏡が存在!
  吉野ヶ里遺跡の高島忠平先生が、日田の鉄鏡は卑弥呼の鏡
           英彦山を創建した日田の藤原恒雄(英彦山神)の意味
 北部九州の奥津城 日田を征すれば九州を統治出来る。
徳川と豊臣が日田を御料地(直轄地・天領)だった意味は古代にも同じ事が言える
日田は古代から八衢と言われ、八衢の神「猿田彦」の都でもあった・・・
地理的な意味から古代史を紐解く・そこには八咫の鏡が存在していた・・・・
   
 
   
 日田盆地は子宮の都(平野部)  会所山
男根?龍頭(下写真)
 
      ※会所山は『豊後国風土記』の久津媛神社が頂上にある。
※久津媛(ひさつひめ)は神が人になり景行天皇をお迎えした


これは、どうも武内宿禰(鷹)をつなげるものか?
大和岩雄氏「秦氏の謎」より引用
 「朝鮮の始祖降臨の檀君神話にある。朝鮮の始祖降臨神話の主人公が、彦山伝承では語られていたが (但し、「藤原恒雄」と日本人化してはいたが)、それが、記・紀神話の主人公に変えられて、天忍穂耳命(天照大神の子ども=あめのおしほみみ)となり、香春神社の祭神の忍骨命となったのである」
※英彦山(藤原恒雄)と田川の香春神社の祭神は同じという。恒雄は檀君の父

日田出土 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(1つ)と金錯鉄帯鉤(3つ)
卑弥呼の鏡!

世界中どこにもない代物が日田から。奈良にもない。



    鉄鏡は、曹操の、卑弥呼の、そして天照大神の八咫の鏡
   
邪馬台国と八咫の鏡の謎は、日田の鉄鏡が生き証人

   中国の皇帝曹操しか持ち得なかった鉄鏡が何故日田から出土したのか?


              邪馬台国・卑弥呼は日田   天皇家発祥の地、日田からの古代史情報発信

仮説① 中国の文献 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は 「曹操の鏡」
 『曹操集譯注』安徽毫県「曹操集」譯注小組【魏時代(220~280年)の記録】
 御物有尺二寸
金銀鉄鏡一枚、皇后雑物用純銀錯七寸鉄鏡四枚、皇太子雑純銀錯七寸鉄鏡四枚、貴人至公主九寸鉄鏡四十枚。
(曹操の御物には約25cmの金銀鉄鏡1枚、皇后や皇太子の雑物には銀で錯した約16cmの鉄鏡4枚、貴人や公主にいたっては約21cmの鉄鏡40枚があった)

仮説② 「卑弥呼の鏡」
 残念ながら、『魏志』倭人伝には鉄鏡の記述はないが、高島忠平氏と元九州国立博物館の赤司善彦氏は『魏志』の2回目にもらい受けた可能性があるという。

仮説③ 「八咫の鏡は鉄鏡」   国友能當翁の需めに応じて 文政九[丙戌]年八月二十七日 平田大角平篤胤、記判
 『古事記』では、八咫の鏡は「鉄」からつくられたとあり、江戸時代の国学者の平田篤胤と飯田武郷は八咫の鏡は「鉄鏡」という仮説を唱えているのです。
 延暦の内宮儀式帳(皇大神宮儀式帳一卷・内宮条)に、正殿心柱造奉条に、「鉄人形四十口・
鉄鏡四十面・鉄鉾四十柄」とありて、余の所々に、「鉄人形四十口・鉄鏡四十面・鉄鉾四十柄」とあるは、一所にしか記して、余をも准へ知らしめたるものなり。同じ延暦の文ながら、外宮儀式帳には、「金人形二十口・金鏡二十面・金鉾二十柄」と、数所に記せり。これはうち任せて加禰といふは、鉄のことなる故に、語のまゝに金人形など書きたるにて、これまた黄金もて造るには非ずかし。そは延喜の大神宮式にも、これを「鉄人形・鏡・鉾、各四枚」と、数所にあるにて知るべし。後の世まで、かく神宝に奉らるゝは、鉄鏡なりしは、神世の旧き例を伝へ来れる御式なるべし。

 邪馬台国論争に大きな楔を打ち込むこの鏡。考古学の中では邪馬台国は畿内であると言われる。しかしこの金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は邪馬台国を一気に九州へと変わる大きなチャンスを握っている。国古学者の高島忠平氏が(下記にコメントあります)日本の中で最高位の鏡だと言い、卑弥呼の鏡である可能性を一気に高めている。

   九州国立博物館4周年特別展で卑弥呼の鏡かと大々的にアピールしたもので、厚紙に実物大の印刷をして10万枚配布している現在は九州国立博物館で展示・保管されている。
 
 
   金銀錯嵌珠龍文鉄鏡のレプリカ。有志が製作に数百万という高級車が買える予算でつくったもの。現在「日田天領資料館」で展示されている。
 『豊後国風土記』によれば、景行天皇を久津媛(ひさつひめ)という神が人に成り代わり景行天皇をお迎えしたという異常な記述である。その久津媛が所持していた可能性がある。
 駒沢大学の滝音教授は「ひさ」=「鏡」という考えを著書で紹介している。ひさつひめとは鏡の姫

 
   テレビで放送された金銀錯嵌珠龍文鉄鏡。九州国立博物館の赤司善彦氏と苅谷俊介氏が語る卑弥呼の鏡に相応しい鉄鏡。

 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡と卑弥呼の鏡の可能性の話をしている。決めつてはいないが、それだけの重要な鏡なのである。明日、奈良の纒向でこの鏡が出土したら、全国ニュースのトップで紹介されるだろう。残念ながら日田で出土したために、この鏡は眠りつづけているのである。考古学のお偉い先生はとはそいうものだ。
 『日田出土金銀錯嵌珠竜紋鏡は何を語るか』   高島忠平    (西日本新聞掲載)

 「なんで!こんな鏡が・・・」、大分県日田市ダンワラ出土と伝えられる直径約21cmの円盤状の鉄製の鏡がある。錆で覆われているが、それでも金や銀や玉で構成された煌びやかな文様が窺える。この鉄鏡が最近、邪馬台国論争と絡んで注目を集めている。
 「金銀錯象嵌珠竜紋鏡」とよばれるもので、復元すると鏡の背面に、紐を通す半球形のつまみを中央に、金と銀の象嵌で、四葉を巡らし、竜や小竜が相対し、周縁に渦状の雲紋が連続してめぐる。それらの間も種々の金銀の文様で埋め尽くされ、竜の双眼に緑色の玉が入れられ、竜の体の節目に赤色の玉を埋め込んでいる。
 見るものに感歎の声を上げさせる、豪華な輝きをもつ鏡である。鏡の中央に付近に子孫の長い繁栄を祈る「長宜子孫」の銘が、これも金で象嵌されている。
 全体の文様の様式、「長宜子孫」の文字形からみて、中国後漢末期から三国期(3世紀)の所産である。これほどの鏡は、日本出土の古代の鏡の中には例がない。日本古代最高の鏡といってよい。

 これと対比して取り上げられるのが三国のうち魏の初代皇帝「曹操」が所持していた「御物有尺二寸(約29cm)金錯鉄鏡一枚・・」である。魏の皇帝の御物が金錯鉄鏡され、皇后、皇太子、貴人・公主など上層の階級によって、金、銀、無文および大きさの順で所持されていた。曹操の墓も21世紀のはじめに発掘され、副葬品として鉄鏡が出土しているが、径21センチメートルとされる以外詳細は不明である。
 いずれにしても日田ダンワラの「金銀錯嵌珠竜紋鉄鏡」は、スキタイ系との指摘はあるが中国からの舶来で、古代中国では王侯貴族の身分階層を表象する威信器である。そのなかでも金銀錯は皇帝でしかありえない。そのような鉄鏡がどうして日田にあったのか。卑弥呼が魏の皇帝から賜り所持した、したがって邪馬台国は九州、それも日田か、と結論を急ぐむきがあってもしかたがないくらいの資料的価値がある。
 あわせて「卑弥呼百枚の鏡」をはじめ数千面におよぶ古代日本の出土の鏡、中国製、当時の日本製あり、なんで古代人は鏡にそれほどまでに鏡に執着したのか。この謎は、鏡とはいったい何なのか、何のために、どのように用いられたのか、古代人の鏡に対する普遍的価値観と認識にあると、私は考えている。そこから「金銀錯嵌珠竜紋鏡」の正体に迫ってみたいと思っている。


「ダンワラ古墳出土品の謎」  九州国立博物館 河野一隆  (西日本新聞掲載) 

 ダンワラ古墳出土品には謎が多い。金銀およびガラスやトルコ石が象嵌された鉄の鏡(重要文化財 金銀錯珠龍文鉄鏡(ルビ:きんぎんさくしゅりゅうもんてっきょう))は比類なき名品であるし、刃連(ルビ:ゆきい)町出土と伝えられる遺物も本墳に関連するならば、帯鉤がこれほど集積している点も異色である。
 しかも出土古墳の実態が今ひとつ明らかではない。国鉄久大本線の土取りで消滅したと聞くと墳丘を有した古墳のように見えるが、実際に出土地点を訪ねると崖面に横穴が開口している。なるほど、鉄鏡の附(ルビ:つけたり)には貝製の雲珠(ルビ:うず)または辻金具がともなっていて、馬具の年代観を重視するなら6世紀以後に盛行する横穴墓からの出土品でも悪くはない。しかし、最初にこの遺物を学会に紹介した梅原末治氏の報文には横穴ではなく、土中からの出土と明記されている。
 要するに謎が多すぎるのである。現在、考古学の発掘調査技術も飛躍的に進化している。たとえばX線CTなどの機器を駆使し、土ごと取り上げて研究室で分析するような新たな研究方法も、福岡県船原古墳遺物埋納坑などで実践されている。ダンワラ古墳についても遺物や出土地の基礎調査がまず必要であろう。
 とは言うものの、この出土品には古代のロマンをかきたてるような要素がたくさん詰まっている。私が注目しているのは龍の眼に象嵌されたトルコ石。トルコ石象嵌製品は、中国では夏(ルビ:か)王朝(二里頭文化期)の頃に登場するが、金銀と共に象嵌された製品が増加するのは春秋戦国時代以降である。
 また、年頭に九州国立博物館で開催された特別展「黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝」でも、西暦1世紀に営まれた遊牧民の墓であるティリヤ・テペ出土の飾り板はトルコ石と金の対照が見事であり、それはバクトリア(アフガニスタン北部)の特徴でもある。出土した帯鉤も考え合わせると、ユーラシアを渡る騎馬民族の息吹が聞こえてこないだろうか。
 そんな想像をたくましくしながら、ダンワラ古墳が語る声に耳を澄ませてみたい。

「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の龍」   九州国立博物館 河野一隆  (西日本新聞掲載

 日田市ダンワラ古墳から出土した金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(重要文化財)は、金・銀・玉(珠)を象嵌して飾られた鉄の鏡である。主たる文様は、体をくねらせて入り組んだ龍であるが、二千年近く経過した今では銀が参加し黒色化したため、実物を見ても全体像は判然としない。
 しかし、日田市の天領日田資料館には復原レプリカがあって、それを見ると2種類の龍がいることに気付く。ひとつは流麗な表現で互いに絡みつき、頭部を側面観で表わした龍。いま1つは魚のような鰭を持つ短い体に、角を生やし目には緑色のトルコ石を象嵌した正面向きの龍である。後者は辰年の年賀状に登場するような姿で、精巧に割り付けられた鏡の文様の中で、どことなく癒しの雰囲気が漂っている。
 中国の龍信仰は新石器時代にまで遡る。はじめは豚と蛇とが合体したような造形だったが、次第にスピード感を強調したフォルムとなり、殷周時代の青銅器には唐草文のように絡み合った龍文が誕生する。これは春秋戦国時代を通じて洗練され、東アジア各地にも伝播する。時代は下り高句麗古墳壁画でもその優美さは失われず、飛鳥時代の高松塚古墳の青龍はこの流れを汲む。
 ところが日本には、もう一匹の龍もいる。今から二千年近く前の弥生時代後期、近畿地方の弥生時代の大型集落からは、しばしば絵を線刻した土器、「絵画土器」が出土する。その中には蛇のような「S」字の一端を丸くおさめた不可解な絵が見られる。考古学ではこれが弥生時代の人々が想像した龍の姿だ、とされている。
 とは言っても決定的な根拠がある訳では無いのだが、もし龍だとすれば、弥生時代後期になって日本人が龍への信仰と出会って、自ら土器に刻んだのかもしれない。この時期は、倭国大乱から邪馬台国の時代へと移り変わる時期で、国際交流も活発化し龍への注目度が高まったのだろう。金銀錯嵌珠龍文鉄鏡に表わされた2種類の龍も、そんな倭人の憧れなのだろうか。
日田のオススメと文化財施設一覧
 
  文化財施設一覧 
 天瀬町ふるさと資料館・天瀬町 
     民欲資料など
 井上準之助 清渓文庫・大肥町 28-2213
     元大蔵大臣・日本ゴルフの生みの親
 大山町ふるさと資料館・大山町 52-3255
     老松神社の銅矛など
 旧矢羽田家住宅・大山町 52-3255
     矢羽田家の紹介
 日田市立郷土資料館・北友田町 22-4540
     岳林寺の文化財(後醍醐天皇勅願寺)
 日田祇園山鉾会館・隈町 24-6453
     日田祇園の歴史
 日田市立小鹿田焼陶芸館・源栄町 24-7171
     小鹿田焼作品展示
 日田市博物館・三本松町 22-5394
     日田市立博物館(自然)
 慈眼山仏像収蔵庫・城町 22-8055予約
     永興寺の仏像(大蔵氏)
 咸宜園教育研修センター・淡窓町 22-0268
     広瀬淡窓の教育センター
 咸宜園跡・淡窓町 22-0268
     咸宜園跡 
 伝来寺庭園・中津江村 54-3537
     県指定の伝来寺庭園
 地底博物館鯛生金山・中津江村 56-5316
     金山関係の観光施設
 小鹿田古陶館・本町24-4076
     江戸、明治の小鹿田焼きの紹介
 前津江郷土文化保存伝習施設・前津江村24-7171
     大野楽関係
 クンチョウ酒造資料館・豆田町 22-3121
     クンチョウ酒造の歴史
 市山亭懐古館・豆田町 22-5467
     所蔵の書画や食器
 廣瀬資料館 豆田町 22-6171
     掛屋であったゆかりの品々
 天領日田資料館 豆田町 22-6517
     天領日田の歴史
 岩尾家住宅(日本丸館) 豆田町 23-6101
     薬に関する資料(木造4階)
 草野家住宅 豆田町 24-4110
     草野家のおひなまさ紹介
 日田市埋蔵文化財センター 南友田町 24-7171
     日田の遺跡から発掘された展示
 日田杉資料館 南友田町 24-2167
     日田の林業を紹介
 行徳家住宅 夜明関町 27-2177予約
     行徳家の所蔵品など
               
           夏羽と都怒我阿羅斯等が邪馬台国のカギを握っている。

 九州邪馬台国連合は日田の卑弥呼を担ぎ上げ、ヤマトは邪馬台国総司令部日田に楔を打ち込み卑弥呼を制覇し、ヒメゴソの子どもの13歳の台与が王権を継ぐ。・・・・・・・・・・・・・これ以上深読みはやめよう。
 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が日田にやって来たルートを思考してみれば、①『魏志』倭人伝の2回目には「鏡」としか書いていない(1回目は銅鏡100枚と記述している)。②『記紀』の天の日矛が持ち込んだ「日鏡」は鉄鏡を意味している可能性。この二つ。
 確実な意味する遺跡がある。日田の小迫辻原遺跡の存在です。この遺跡からは布留式土器というヤマトの土器が出土する意味は大きい。布留式土器はこの小迫辻原遺跡のみの出土であるから布留式土器が日田からヤマトへ持って行った可能性は低く九州邪馬台国の東征は否定してしまう。
 神話の天照大神は筑紫で生まれる意味ともう一つ、豊国は卑弥呼の宗女「台与」の名残だと私は思う。そして4世紀初頭には宇佐には赤塚前方後円墳が現れる。鉄が卑弥呼の時代九州が圧倒していたのに、台与の時代になるとヤマトへ鉄が動き始める理由などを総合してみると少なからず、3世紀末か4世紀初頭にヤマトが九州へ上陸している様子がうかがえる。
 ここからは推理だが台与は、ヤマトと手を結び、九州の西側(伊都・奴国・吉野ヶ里)と対向した可能性が強い。『記紀』の姫島には「ヒメゴソ(豊受大神・神功皇后)」という女神や田川の都怒我阿羅斯等という新羅・伽耶系がやってくる。
 北部九州の王であった、夏羽(田油津媛の兄で田川の洞窟の中で焼き殺される)はこの都怒我阿羅斯等から殺されたのではないかと思う。夏羽は新羅と良好な関係だったのに、中国と百済と結びつきを深めていき、反感を受けて最終的に新羅とヤマトは結びつきを深くしていったのではないか。
 筑豊を統治した都怒我阿羅斯等は次に筑後川と熊襲を狙ったにちがない。そこで日田の重要性が出てくる。北部九州の交通の重要地の日田を本拠地として次第に九州を統治していく。徳川と豊臣が日田を御料地としたのも同じである。
 卑弥呼は九州の巫女であるが、台与はどうだろう。台与の年齢も13歳と若く、日田で都怒我阿羅斯等とヒメゴソの間に生まれた可能性は充分にありえると思う。
 本当の日田は筑紫に位置するのに、豊国に含まれるのもこの誕生の意味を伝えているのかもしれない。金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、中国からもらい受けた卑弥呼から奪い取ったものか、それとも卑弥呼から台与に譲られたものか、それとも都怒我阿羅斯等(天の日矛が持ち込んだ日鏡)が新羅から持ち込んだのかその3つが考えられる。

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日田おきあげ人形研究会

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